浮世絵ミュージアム
定方塊石作
「富士見六景 木更津海岸」
展示方法:パネル(イオンモール木更津が平成26年度に制作)
大きさ:パネル(縦 約1.2m、横 約1.5m)
解説:船着場 明治時代に海上を東京と結ぶ定期航路が結ばれ、東京の乗降場は霊岸島越前畑、木更津側は南片町地先が繋船場だったとされています。
当時は外輪の旧式蒸気船が運航しており、南片町と仲片町との間の道路は「蒸気河岸通り」といわれるようになりました。
蒸気船が就航した当時は木更津の海が遠浅であったため、蒸気船は沖に停泊し、乗船客は艀舟(はしけぶね)に乗り移されました。潮が満ちている時(満潮時)には、五大力船などが利用していた澪筋を通って海岸まで横付けすることができましたが、潮が引いた時(干潮時)には艀舟さえも使えなくなり、乗船客はやむなくそこから人力車(海中人力車)に乗り移るか、裸足になって浅瀬や干潟を渡るしかなかったといわれています。